コロンブスのゆで卵

世界を変えた日本人の英知 逆転の発想がすべてを切る!
- 「月の石」を切ることになった砥石 -

外国に住む中国人の商人、または在外中国人の総称である華僑の間で言い伝えられている言葉に「三把刀」というものがある。これは料理に使う包丁、裁縫に使う裁ちバサミ、散髪に使う髪バサミの三つの刃物のことだ。そして、この言葉は、このうちのどれかを使える技術があれば、世界中どこの国、地域へ行ってもりっぱに生きていけることを意味している。

この言葉でわかるように、人間にとって切るという行為は、生命を維持したり、生活を営むことに必要なこと。その歴史は打製石器時代にまで遡る。捕らえた獲物を切る道具として、あるいは削り取る道具として、刃物が使われたのだ。時代が進むにつれ、打製石器は磨製石器へと変化し、青銅器、鉄器へと流れていく。切る道具の進化は、我々人類の生活に大きく影響を与え、建築方法を飛躍的に向上させたり、豊かな食文化を生み出す原動力ともなったのだ。

近年は、従来考えられていた刃物に限らず、水に高圧をかけてジェット水流で切るカッターや、レーザー光線を利用したレーザーメスなど、ハイテクを利用したものまで現われるようになり、各種の産業や医療に大きな貢献をしている。そんなハイテク刃物の一つに、「砥石で切る」カッターがある。本来、刃物を研ぐ道具である砥石を、切る道具として利用したものである。しかも、その砥石は、現代のハイテク産業を支えている重要なカッターとして君臨しているのだ。

広島県呉市。古くから砥石産業のメッカとして知られるこの町に、砥石カッターを製造する工場がある。1937(昭和12)年、第一製砥所として創業されたこの会社は、現在ディスコと名のっている。

1956(昭和31)年、砥石をめぐってライバル会社と張り合ううちに、この会社は日本初の極薄切断砥石を開発。この砥石は万年筆のペン先づくりなどのケースでは、まさに極薄切断砥石の独壇場であった。

そして、1963(昭和38)年、一人の男が入社。この男の出現で、この会社はまた大きな変革と向かうのである。

男の名は関家臣二。この男の発想で、刃物を研ぐ道具だった砥石が極薄のカッターに姿を変えるようになるのだ。本来、刃物の脇役であった砥石を主役に抜擢した関家。彼はどういう経緯で、このような逆転の発想ができたのだろうか。

そこには営業マンとしての苦労と、自社製品に対する誇りと信頼が隠されていた。

都電を切りまくった男が考えていたこと

現在副社長である関家も入社当時は営業に配属され、来る日も来る日も自社の舗装道路を切るアスファルトカッターや、オウム真理数のサティアン解体に使われたエンジンカッターのような工業用の砥石カッターを売り歩いていた。しかし、当時は何かと国産品よりも舶来品が信用される風潮があり、思うように売ることができる状況ではなかった。

「日本製は、すぐに壊れるから信用できない」

売り込みに行っては、こんな台詞を聞かされる毎日。関家は思った。

「なんとか砥石カッターの性能を向上させたい」と。

そんなある日、関家の目にあるものが映った。都電である。関家は都電を追って走った。そして、こう言ったのである。

「すいません。都電を切らせてください」

関家は廃車になった都電や使われなくなったレールを片っ端から切りまくった。様々な素材からできている車輌は、まさに自社製品の性能を確かめ、向上させるための最高の素材だったのである。そして、切って切って切りまくった関家は、ここで自社製品に対して自信を深めた。

そこで関家は、また大胆な行動に出た。「壊れやすい」と言う相手の前に腰を下ろし、目の前で砥石カッターを使ったのである。砥石カッターが破損しようものなら、割れた砥石が関家を襲い、大怪我をすることだってある。自社製品に対する自信と信頼がなければできない芸当だ。その行為にド肝を抜かれた相手は、関家が持ってきた砥石カッターを信用するようになっていくのである。

このようにして、自信を深めていった関家は、次第に営業活動を通し、顧客からじかに様々な要望を聞くようになっていった。そして、「切断用の砥石をもっと薄くできないか」と考えるようになったのである。砥石は、元々刃物の三倍以上の硬度を持つ必要がある。つまり、もっと硬くなければ薄くはできないのだ。

そんなことを考えているとき、関家の目に映ったのが、なんとダイヤモンドであった。

関家は早速会社の技術者に話を持ちかけた。

「薄型の砥石にダイヤモンドを入れて、もっと硬くしてくれませんか?」

しかし、技術者の反応は冷たかった。

「コストがかかり過ぎるよ。ダメだな、そんなものは作れないな」

折角のアイディアも、現実化しないかと思われた。が、たった一人だけ、関家の情熱に動かされた技術者がいた。

「なんとかやってみるよ」

その日から、ダイヤモンドを混ぜた砥石の試作がはじまった。

そして、ついに砥石の完成である。関家のひと言から生まれた50ミクロン(0.05ミリの超薄型ダイヤモンド砥石が、1969(昭和44)年「ダイヤモンドカット」として開発に成功したのだ。関家はこの一連の経緯を思い出して、こう語っている。

「やってみなければわからないものだなあと、このときよくわかりました」

発想と、熱意の持続が、成功を生んだのである。

NASAからの依頼で「月の石を切る」

50ミクロンという薄さの砥石は、その後、ハイテク産業の隆盛とともに、その販路を広げていった。そして、くしくもダイヤモンドカット開発の年に合わせたように、人類史上に残る大きな出来事があったのだ。アポロ11号の月面着陸である。

ダイヤモンドカットをはじめとする、「切る」という分野での実績を評価されたためなのか、関家の元に、なんとアメリカ航空宇宙局(NASA)からある物が届けられたのだ。

そのある物とは、アポロが持ち帰った「月の石」である。

それは貴重で重要な仕事。つまり、それは関家の切る技術が、世界的に信頼を得た証拠だったのだ。世界中が注目する月の石を切るということは、大きな名誉だったのである。

1974(昭和49)年、ついに月の石を切断。

顕微鏡で石の断面を見るためには、断面をきれいに薄くする必要がある。それは「月の石」研究上で欠かせない作業だった。それを関家の砥石カッターが実現したのである。

しかし、このカッターは、その後の開発・改良でそれくらいで驚いてはいけないほどの実力をもつようになる。現在の超薄型ダイヤモンド砥石は、厚さ15ミクロン(0.015ミリ)。

ダイヤモンドの砂粒を接着剤でかためたものだ。見た目には薄い円形のフィルムにしか見えないが、これがとてつもない切れ味なのだ。

ダイヤモンド砥石を高速で回転させることで、なんと70ミクロン(0.07ミリ)の髪の毛を簡単に縦に三分割してしまうことが可能なのだ。いや、それだけではない。なんと、髪の毛の断面に格子のように切れ目を入れると、30の点に分けることができるのである。しかも切った跡は、顕微鏡で見ても、とてもなめらかなのである。

これは砥石で切る大きなメリットだ。包丁のような刃物は、対象物を「分ける」のに対し、回転する砥石カッターは、対象物を「削り取って切る」のである。よって、断面が曲がったり歪んだりしないのだ。

高い性能を持つことができたダイヤモンド砥石は、現在、ICチップの製造で活躍している。刃物の脇役であった砥石という存在が、いまハイテク産業を支える名脇役になったのである。

「否定からは、何も生まれない」と、関家は言う。

人問はつい固定概念にとらわれてしまうものである。関家はそんな我々に「発想と行動」の大切さを教えてくれるのである。

コロンブスのゆで卵 TBS「コロンブスのゆで卵」取材班 (1997/2) より

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